2010年11月3日水曜日

仙厓義梵

今日は禅画について。

仙厓(せんがい)
江戸時代後期の臨済宗僧にして禅画家。
文人画の範疇に入るんですかね。禅僧という意味では「文人」ではないです。ただ池大雅と様式的に共通点があると思ってしまうのは間違いでありましょうか。
専門画工という訳でなく、禅の名僧でありながら、人々への教化という目的で描かれた作品が、有名になり多くの職業画家に影響を与えたのです。そして今日の評価と人気を築くにいたります。

つまりこの方の画にはしっかりと禅の教えを説明するという機能を持つのです。
しかし、当然今の我々が評価する所以は、独特の「ゆるさ」「癒し」といった要素があるからでしょう。ひこにゃんとか、「ゆるキャラ」ブームですし。

つまり現代の我々の感性に通底する魅力をしっかり有しているわけですね。

前置きはこの辺にしておいて・・・



さて行って参りましたのは、、、どん。

出光美術館




(11月3日まで)

出光美術館の仙厓コレクションが一挙に公開されています。若者こそ行ってそのゆるい癒し系の画にふれてみるベキです。きっと通ずる感性のはず。
ファッションでもアートでも「ゆるい」系が流行っている感がありますが、仙厓の画はゆっるゆるです。
禅画というと、雪舟の水墨画とか、頂相のような肖像画など、堅苦しいものがまず思い浮かびますが、そういう凝り固まった議論は抜きにして、ゆるい系アートを見て感じたぼくのゆるい感想を綴って行きたいと思います。

(すべて会期中に展示された作品です。)


《自画像画賛》
仙厓 そちらをむいて なにしやる

ちょwwwwwwwwww
テキトー!
なんて思ってるぼくですw
一応自画像ですよね。
あまりに潔い。
見たら笑顔になってしまう。
そこがすごいのです。



《狗子画賛》
「きゃんきゃん」。・・・。
ちょっ、、そんな、きゃんきゃんて。
かわゆす。
なんと肩の力の抜けたゆるい筆なんでしょう。筆のスピード自由、筆圧自由、しがらみに縛られてないフリーダム感が伝わってきます。しかし、やはりその線は生きていてなんとも奥ゆかしいものです。背の線が好き。
もちろんこの中に禅の教えが込められているのです。








○△□

抽象画キタ━(゚∀゚)━!って感じ?
いやでも真意はなんだろう・・・。プレステのコマンドか何かか。
・・・感想とか出てこないし理解できないしコメントしずらい。
それが率直な感想w
いやいや、もちろんこの中に禅の教えが込められているのです。
なんでも
:修行を完成させた完全なる円=仏陀
:修行途上の自分
:修行の前段階?
らしい。
それすなわち
修行の諸段階⇒我々のあらゆる諸段階⇒万物のあらまし⇒宇宙
ってなるらしい。禅の世界観!
抽象画って視覚芸術としては表現(技巧的な面で)が手抜きで「こんなもんに付き合ってられっか!」ってなるけど、抽象画で大成する人って絶対に深淵な哲学を持っています。じゃないと描けないし、描いていいもんじゃない。



《一円相画賛》

円、つまりこれは角の無い完全なる形であり悟りの境地に辿り着いた仏陀を表現しておりその無駄の無い...(キリッ)
って思わせておいて
「これくふて茶のめ」
と言い放つ。
そう、茶菓子なのです。
ここでもまた失笑を誘うユーモアセンス。
仏教の超越的な解釈から、卑近な解釈まで縦横無尽に往来するところがこの絵のすごいところ。もちろんそれを意図して描かれています。(臨済宗のお坊さんですからね)


《頭骨画賛》
「よしあしハ 目口鼻から でるものか
よし・あし=葦は地域によって「よし」「あし」とよばれていました。
それと善し悪しをかけているのです。
目線であったり発言であったり鼻のつき方(顔立ち)から、その人の善悪が出るものなんだな、という内容。うまいじゃありませんか。
こういったうまい川柳もいっぱい残しています。座布団一枚!


最後に仙厓さんから、ちょっと良いメッセージ。

《牡丹図画賛》
うへて見よ 花のそたたぬ 里もなし
心からこそ 身はおびただしけれ

花が全く育たない土壌なんてものは無いのです、だから植えてみなさいよ。
心をこめて大切に取り組めば、きれいな花がいっぱい咲きほこるさ。

何事もチャレンジだ!誠心誠意取り組めば結果はついてくるんです。
就職活動をしなきゃいけないぼくにとっては良いメッセージです。

これを最後まで読んでくれたあなたも、このメッセージを汲み取って頂ければ仙厓さんもよろこびます









仙厓のまとめ
①ゆるい
②深い
③ゆるふか

(まとめは仙厓さんに倣ってテキトーな感じです
わり。

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