2010年10月28日木曜日

ルネ・ラリック

どうもご無沙汰です。さて、今まで絵画史しか扱ってなかったのですが、初めてデザイン史について扱ってみようかなと思います。今回のテーマはルネ・ラリックであります。

日本でも知名度は高い19世紀末から20世紀前半に活躍したジュエリーやガラス細工の芸術家・デザイナーです。ジュエリーやら香水瓶やらが主な作品なので、ラリック関連が出品される展覧会は女性(またはカップル)ばかりです。ターゲティングは女性に向けて企画してるのでしょうが、どうも男たるものにとっ て、そこまで興味はわかないのでは・・・。
しかしぼくは、男で一人で、見てきました。香水瓶。どや。まわりは女性または、カップルだった。どや。つまりはスイーツ系展覧会。

東京都庭園美術館
きらめく装いの美
香水瓶の世界

HP
http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/perfume/index.html
(できれば女性と行きたかったな笑)
古代かた現代にいたるまでの「香水瓶」の歴史を網羅しています。
女性は絶対行かれるべきです。楽しめます。カルティエとかディオールの香水瓶もありましたし。
しかし、男性は・・・ファッションやモードに興味をお持ちであったり、服飾系の方面の方でないかぎり、楽しめるか保証はしませんw
だから、敢えて男性だから行くのもありかもしれません。女性の心を理解すつ糸口になるかもしれませんw

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香水瓶はあくまで商業から生み出された「商品」であって、作家がみずからの表現の手段として創造したものではないのです。つまりアートではなくデザインなのです。(デザインは消費されることを前提とします)
しかし、香水瓶というのは、富裕な階級の夫人が愛でる「嗜好品」としての側面も持ち、そのため細かな意匠が施されたものや、洗練された優美な外観をもっています。単なる香水の「入れ物」としての機能を越えて、それ以上の付加価値を持っていると言えます。
しかし、当然ですが香水瓶のデザインは、女性に向けています。そういった意味では女性の文化の一つの切り口と言えるかもしれません。正直普通の男子が香水瓶を見てうっとりしてたらひきますよね笑。でも最近はオネエマンみたいなの増えてるから一概には言えません。

しかし、ルネ・ラリックのデザインはやはり目をひきますね。
もちろん、この展覧会でも彼の作品は数十点あり、ラリック社の品々も出展されていました。


Rene Lalique (1860-1945)
↓↓↓↓

最近でもラリックの評価は日増しに高まりを見せています。最近の展覧会でのアゲアゲ感を見てみてもわかります。
国立新美術館で「生誕150年 ルネ・ラリック 華やぎのジュエリーから煌きのガラスへ」(2009年6月24日〜9月7日)が開催され、ラリックのコレクションが多く出展され日本で公開されました。
http://www.nact.jp/exhibition_special/2009/lalique/index.html
また、国立近代美術館の工芸館でも「アール・デコ時代の工芸とデザイン」(2010年4月27日〜6月27日)でラリックの作品を一部見る事ができました。
http://www.momat.go.jp/CG/art_deco2010/index.html
箱根にはラリック美術館があり、現在も「生誕150年記念 ジュエリー新コレクション」(2010年4月17日〜11月23日)で作品の展示をみることができます。
これだけみても、日本でも興行収入が得られ、人気・評価が非常に高いということがわかります。その所以も充分に納得がいきます。単に、作品がすごく魅力的・芸術的だからです。
彼の作品は、機能性、芸術性、デザイン性のバランスが非常に良く調和しています

そして特定の様式に固執するのではなく、時代に反応して、作風を昇華させているのです。彼の作品様式はアール・ヌーヴォーの時代とアール・デコの時代にまたがります。この二つの様式をまたぐアーティストは中々いません。自己のスタイルを発展させていくってすごいうことだと思います。(Miles Davisなんてそういった意味では天才。)

はて、なんともシャレオツ感あふれるこの《アール・ヌーヴォー》と《アール・デコ》という言葉ですが、この2つ言葉の違いはご存知でしょうか。ぼくも詳しいことまでは踏み込めませんがざっと比較して行きましょう。wiki見れば一発かもしれませんが笑


アール・ヌーヴォー》と《アール・デコ》の比較

【共通点】
①装飾美術、応用美術、工芸に適応される装飾様式の概念である。簡単に言えば、ファッション、装身具、インテリア、家具などのデザインの様式である。
②建築様式に従属したものと見なされていた装飾美術・工芸に独立した領域を与えた。
③「歴史主義」の反動として現れた、過去の様式に従属しない「近代的」な様式である。
④産業の発展による画一化への反発
⑤フランス発(厳密に言うとそうでは無いのですが細かいので割愛。言葉は仏語。)

【相違点】
①時代
アール・ヌーヴォー:19世紀末〜第一次大戦前。/代表人物:エミール・ガレなど
アール・デコ:第一次世界大戦後、1920年代。/代表人物:タマラ・ド・レンピッカ、ココ・シャネル、エルザ・スキャパレリなど
(時代が違うということはそもそも成立の背景も精神も全く違うということです。)

②諸相
アール・ヌーヴォー
・「新しい藝術」の意
・装飾性が高い。
・「装飾のための装飾」と批判されることもあった。(結局富裕層の贅沢品の様式となってしまったため)
・「花の様式」
・情緒的

アール・デコ
・「新しいデザイン」を意味するアール・デコラティフの略
・機能性を追求
・装飾過多を廃し、クールで洗練された外観。
・円形に加え直線的要素も加わる。
・近代性を強く意識


実際に作品を見ると一目瞭然ですね。

アール・ヌーヴォー①
《雄鶏の頭》


アール・ヌーヴォー②
《蜻蛉の精》

緻密で繊細。超絶技巧を言わんばかりの巧みな技術。息をのむ優美さですね。
で、それに対してアール・デコ期はというと・・・


アール・デコ①
《風の精》

アール・デコ②
《ダン・ラ・ニュイ》

一気にモダンでシンプルになります。かなり違いますよね。ですが、その芸術性はむしろ洗練されたものになっているように感じます。過度な装飾性が排除された無駄のないデザイン。それでいて、深みというか、訴えかけるものはぐっと増しているように感じます。

なかなかに形を異にした二つの様式ですが、ルネ・ラリックはこの二つの様式を上手に渡り歩いたのです。ぼくが思う、彼の「すげえ」ところはここです。
彼の制作史はアール・ヌーヴォーのジュエリー時代と、アール・デコのガラス時代に大別できますが、その変遷は工芸品から産業芸術への変化とも言い換えることができます。
さ らに、このことは「手作業を止め、商業化してしまった」と批判されるべきものではなく、むしろ手作業でなかろうと、芸術性がより高みに向かっているので す。ラリックの作品のデザイン性は同時代の中でも群を抜いてセンスに溢れていると思います。までも、前期と後期でくらべると、やはりアール・デコの後期の 方が断然すきです。知的ですよね。
彼の作品は「商業」と「芸術」が調和しうるということを教えてくれます。

今回はルネ・ラリックの作品を通して二つの様式概念を書いてみました。ご理解いただけたでしょうか。

あと、蛇足になりますが、東京都庭園美術館の建築はアール・デコ様式の建築で、今回の美術展とマッチングが素晴らしいです。玄関のガラス細工はラリックによるものですし、その他の室内装飾など、アール・デコ調で統一されオシャレ感まっくす。
あと、建築であれば、近代美術館の工芸館も同時代の様式です。両方とも美術館でありながら、建物自体の芸術的価値が高く、瀟酒でとても深いおもむきを湛えています。両方ぼくのお気に入りのスポットであります。


今回のまとめ
①アール・ヌーヴォーとアール・デコはシャレオツな感じで似てるけど結構ちがう。
②でもルネ・ラリックは両方通った。だからすげー。かっけー。
③香水とかまったくわからないというダメンなぼく

2010年10月16日土曜日

保存を兼ねた展示法

本日のテーマ
東京国立博物館

法隆寺宝物館


現 在、東京国立博物館の平成館では「東大寺大仏ー天平の至宝ー」が開催されており(12月12日まで)、私が訪れたのは休日ということもあいまって上野は公 園から博物館にかけて多くの人々でにぎわっていた。国立博物館の敷地内に入ってみると、本館や平成館には多くの来場者が集まっているようだが、法隆寺宝物 館に向かう人影は休日の昼間であるのにごくまばらである。多くの人は平成館や本館の目玉の企画展を目当てであって、常設である法隆寺宝物館は素通りすると いうのが大方であろう。芸大に通っていた知人に聞いても「(宝物館で)お茶はするけど展示は見た事がない」とのことであった。確かに知名度はそこまで高く なく、敢えて注目する人は少ないかもしれない。


(法隆寺宝物館)

しかし、素通りしてしまうにはあまりに勿体ない建築である。
ま ずはガラスを基調としたポストモダンの建築の外観の装いに目がいく。「法隆寺宝物館」という名称からくる古風で荘重な響きとの乖離に新鮮な印象をうける。 設計したのは慶應のOBでもある谷口吉生である。噴水の脇を通る水上の道からエントランスに導かれるときも、訪問者の心持ちを洗い流してくれるような機能 を有している。

(左手に噴水が上がっている。)


エントランスホールは、ガラス張りのため光が差し込み明るく開放的である。
地上階から展示室は始まるのだが、高機能そうな自動ドアが開き訪問者を展示室へと迎え入れる。自動ドアが閉まり完全に室内に入ると外の音 声は驚くほど遮断され、外との密閉性が非常に高いことが伝わる。実際、展示室自体さらに一枚石の外壁を隔てられ外気の影響から完全に守られているいるよう だ。さらに展示室内は一転してかなり照明が弱く設定されており目が慣れるのに時間がかかる程暗いのだ。その中で適度に作品に照明が当てられている。開放的 な「外」に対して暗い静かな「内奥」という対比が連想された。
もちろん、照明が暗くされているのは第一義として作品保護の観点からであろう。ここに収蔵される献納宝物はもろく保存の難しい作品が多いため、温湿度管理は言うまでもなく、外気との隔絶と照明の繊細な調節が不可欠なのである。


(第二室)

そして最も面積のある第二室には、小型の金銅物がかなり斬新な方法で展示されている。金銅物が一体ずつ方形のガラスケースの中に安置され、部屋中に等間隔に縦横に並べられているのだ。
こ こでもガラスケースに入れるということで、一体ずつ最適な環境で保存するということを実現しているが、美的側面を高める働きも多いにある。ガラスケースの 中で輝く仏像の姿はまた格別であり、それらが並べられるとまるで部屋全体が作品であるかのような印象をうけた。この中を縫って歩くとまるで仏の織りなす小 宇宙のような世界の中にいるようである。
その他の展示室でも同様に、暗い静かな室内に献納宝物がガラスケースの中に収められ最低限の照明によって照らされている。

つまり、このようなことが言える。
作品は暗い保管庫で「保存」されるのとほぼ同じ環境の下で「展示」されている。
しかもこの保存機能を優先した環境は、美的側面を損ねるのではなく、作品の持つ美を十二分に引き出す「展示」を達成している。
「保存」機能と「展示」機能がただ共存するだけではなく、組み合わさってより優れた機能を創出しているのだ。

そういった意味でこの建築は実に優れている。
難点を挙げるとすれば、「知的好奇心を満たす場」としてはそぐわないことである。つまり、室内が暗いのでゆっくり解説を読みながら鑑賞し作品に関する知識を深めるということに適していないのである。この施設は純粋に「美的体験の場」に適していると言える。
し かし実はこの難点も、中二階に位置する資料室によって補完されている。法隆寺の宝物に関するデータベースを完備し豊富な文献も閲覧可能である。この資料室 は充分に面積もあり座り心地の良い椅子が多くありくつろぎながら知的好奇心を満たすことができる。子供が熱心に勉強する姿も見られた。


(資料室)

法隆寺宝物館というやや特殊な目的のものであれど、ミュージアム建築としての機能の理想型を示す建築なのではないだろうか。
これからも国立博物館を訪れる際にはここに立ち寄って「お茶」でも休憩でもしたい、と思わせるお気に入りの場所だ。

(いつもと文体が違うのはぼくが提出する文章の一部転用のためです笑)

2010年10月14日木曜日

美しい女性

更新のペースが・・・だいぶ疎になってしまっています・・・・。週一回は更新したいけどなかなか忙しくてそうもいきません。(これでもバンドを複数やりつつ、就活生なのです。ため息。)
でも、自分はブログやら日記やらを「書き記す」ことが好きみたいで、どうしても書きたくなってくるんですよね。このブログもさくさく更新して記事を増やして行きたいと思っております。(ホントに書きたいネタはいっぱいあるんですよ!

今回のテーマは「美人」。
美しい女性です。ま、みんな好きですよね。否定する人はいますか?w

もちろん絵画史においても大きなテーマとなっており、日本も西欧も「美人」を描いた作品は枚挙にいとまないですよね。

なんでまたこのような記事を書くのかというと、先日、上村松園展に行ってきまして、その折りに触れてぼくの知る「美しい女性の絵」を思い返してみたくなった訳です。

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上村松園展
公式サイト↓↓


年配の方には美人画として超絶な人気をほこる上村松園ですが、漫画やアニメなどに慣れ親しんだ平成生まれの若者の感性には「美人」でいけるかなーどーなのかなー、と思いつつ鑑賞してみたわけですが、

結論として、「美人」でいけます。
平成生まれの感覚(自分はジャンプ系も少女漫画も通った)でいっても、上村松園の描く女性は美しい。

《舞支度》 1914年 京都国立近代美術館

お顔と仕草がとてもかわいらしいじゃないですか。

上村松園(http://ja.wikipedia.org/wiki/上村松園) は明治〜昭和初期にかけて活躍した女流の絵師です。今でも超のつく人気です。画技は早熟で、同時代からも高く評価されていましたが、女性蔑視の風潮が色濃 い時代背景の中で、シングルマザーやりつつ厳しい書である画業を貫くというなんともタフな女性なのです。そのためフェミニズム論の文脈で登場することも多 い方だと思います。

美人画といっても中世の源氏物語絵巻や、近世の菱川師宣の浮世絵などは、美人かと言われると、どうしても現代の感覚とはずれてしまいますよね。これ実際にいても確実に美人だと思わねーぞ、みたいな笑(その美人像の変遷の歴史もおもしろいのですが)
そ れらに比べると明治後期〜昭和期の頃なのでやや顔立ちなどが現代よりで「キャッチーな美人」です。構図や題材は近世以来の古典的なものなのですが、そこに 絶妙に「新しさ」がセンス良く加味されています。近現代の感覚でも近世の感覚でも「美人」と称されるに足るバランスのとれた女性像ではないでしょうか。
そのバランス感覚がなによりも素晴らしいと思います。

《新蛍》 1944年 東京国立近代美術館
控えめで慎みのある女性の姿は人の心を静かにとらえます。蛍の光に気づき身を上品に翻しています。(そして思う訳です。「今はこうゆう女性、いないよなー。歴史の中で絶滅したよなー。」とw)
薄緑の着物に鮮やかな赤い帯というのも色彩的にいいですよね!

《人形つかい》 1910年
こ れもまた絶妙な作品です。「人形つかい」は画中にはいない。しかしタイトルを冠することでその存在をしっかりと認識させるのです。描かないことで描く」と いう日本固有の枯山水的な手法ですね。しかしここでの主題は人形つかいなどではなく、それに感心をよせ覗き込む女性のふとした姿なのです。そして襖の間か らうかがえる室内のわずかな様子。画面に何を持ってきて何を伝えるかというのが非常にうまい。

今回の国立近代美術館における上村松園展は展示構成もしっかりした非常に良い企画展でありました。そもそも上村松園を見るのは初めてでしたし行って良かったなと思います。
企画展のレビューはぼくのより全然良い記事があったのでトラックバックしときました。参照ください。

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そして
この機会なので

ぼくが思う美しい女性の絵画を紹介したいと思います!


単に紹介するのもあれなんで、ぼくの完全なる恣意に基づく「美人の絵」のランキングをつくっちゃいました。
ただの個人的趣向です。悪趣味と言われても差し支えないです。自己満です。

※あくまで「絵画の女性に対する趣向」≠「実際の女性に対する趣向」です笑
※ピカソの《泣く女》とかクレーなど表現主義的な作品も含めるかは迷ったけどやめましたw

それでは早速、第5位からでーす!


5位
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《黒いボアの女》

美 人というか、ちょい悪かっこいい女性です。まるで今の時代の服飾系のトップ・デザイナーの原案みたいですよね。「プラダの新作です!」みたいなw 衣服の 斬新さや顔立ちはなんとも魅力があります。そして顔の白さと服の黒さのコントラストは何か声精神的なものを象徴しているのでしょうか。



4位
ルノワール《アンリオ夫人》

印象派を代表する画家ルノワール。しかし彼が最も関心をむけたのは風景ではなく美しい女性であったのです。彼の女性を描く力、というか見る力は群をぬいています。
ルノワールはあどけない少女を多く描いていますが、この女性は大人びていて清楚な印象を与えます。貞潔の白のドレスを着ているのもそのあらわれでしょう。白い画面の中での黒い瞳が印象的です。いやはや美しい。


3位
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ《プロセルピナ》

ラファエロ前派の筆頭格のロセッティは美人を描くことにすこぶる定評があります。この絵は神話に版をとってますが、アン・ハサウェイみたいなすさまじく整ったお顔立ちですね。
ザクロをにぎる手の感じや、青い布地が透けてる感じなんかも「いかにも」という感じで女性的美しさを醸成しています。
ジャ ン・エヴァレット・ミレイも日本人には人気が高いですよね。あ、近いうちに、横浜美術館で「ラファエル前派からウィリアム・モリスへ」っていう企画展があ るみたいですね。見に行きます。しかし個人的にはラファエロ前派はどうも好きになれない。標榜する思想体系とか理論も脆弱だしなー。


2位
ジョン・ウィリアム・ゴッドワード《ネリッサ》

日 本で紹介される機会あまりない(?)と思われる、新古典主義時代のイギリスの画家による絵です。すさまじい描写力ですよね。目の細めた感じとか、腰を曲げ た姿勢とか実にうまい。これぞ美人!油彩もここまで技巧を極めると逆に「芸術」なのかどうか疑問に思えてくるのもパラドキシカルです。芸術性が高いかと言 われれば僕個人的には首肯しかねるかもしれません。こういう形式や様式美を重視するハイパーリアリスムのアンチテーゼとして現代藝術が台頭してくるので す。
しかし非常に美しいですね。そこは否定できないので堂々の2位!

さーいよいよ栄えある一位の発表です!


1位
フランツ・フォン・シュトゥック《罪》


アダムとイヴに知恵の実を勧め原罪を負わせた蛇が、女性の胴体にまきつき、肩の上で頭部をおこしこちらを睨みつけています。女性は、胸部には光があたっているのに、顔は陰に隠れて暗くなっています。やばい、完全に悪女です。
主題はまさに罪。彼女が何を犯したのか、心の内になにを感じているのか、そしてこちら側に何を投げかけようとしてるのか。それらは寓意や描写からも想像に難くないようながします。
しかしそんな悪意に満ちたこの絵の女性は美しい。そのように思ってしまう僕は少数派でしょうか。そうは思わない気がします。

この絵を描いたシュトゥックは、モローやルドンなどと同時代の画家でいわゆる世紀末の象徴主義といわれる画家たちのひとりです。シュトゥックは当時のドイツの画壇の中心にいましたが、このように女性の闇の部分にフォーカスした作品が多いのです。




ど うですかねー。時代がかたまっちゃいましたねw ティツィアーノ《ウルビノのヴィーナス》とかラファエロ《ベルヴェデーレの聖母》とかフェルメール《真珠 の耳かざりの少女》などが美術史上の「美人」として間違いないとは思うんですがね。個性的な解答をしてみたかったのですw
そうは言っても流動的に変化していくでしょう・・・。
ランキング上の画家を好きかといわれると、彼らはどうも好きになれない画家なのですw (シュトゥックは除く)
好きじゃない画家が美人を描くのか、美人を描く画家が好きじゃないのか・・・。ラファエロ前派とか・・・あまり好きじゃないなあ。



女性の趣味なんてひとそれぞれで当然。だからおもしろいんですよね。絵画の趣味もしかり。
美しさの基準を設けるような議論は芸術の自由さを損ねます。当然「萌え」も重要なファクターだと思います。

ま、趣味ですね。趣味。

(悪趣味になってませんかね・・・)