でも、自分はブログやら日記やらを「書き記す」ことが好きみたいで、どうしても書きたくなってくるんですよね。このブログもさくさく更新して記事を増やして行きたいと思っております。(ホントに書きたいネタはいっぱいあるんですよ!
今回のテーマは「美人」。
美しい女性です。ま、みんな好きですよね。否定する人はいますか?w
もちろん絵画史においても大きなテーマとなっており、日本も西欧も「美人」を描いた作品は枚挙にいとまないですよね。
なんでまたこのような記事を書くのかというと、先日、上村松園展に行ってきまして、その折りに触れてぼくの知る「美しい女性の絵」を思い返してみたくなった訳です。
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上村松園展
公式サイト↓↓
年配の方には美人画として超絶な人気をほこる上村松園ですが、漫画やアニメなどに慣れ親しんだ平成生まれの若者の感性には「美人」でいけるかなーどーなのかなー、と思いつつ鑑賞してみたわけですが、
結論として、「美人」でいけます。
平成生まれの感覚(自分はジャンプ系も少女漫画も通った)でいっても、上村松園の描く女性は美しい。
上村松園(http://ja.wikipedia.org/wiki/上村松園) は明治〜昭和初期にかけて活躍した女流の絵師です。今でも超のつく人気です。画技は早熟で、同時代からも高く評価されていましたが、女性蔑視の風潮が色濃 い時代背景の中で、シングルマザーやりつつ厳しい書である画業を貫くというなんともタフな女性なのです。そのためフェミニズム論の文脈で登場することも多 い方だと思います。
美人画といっても中世の源氏物語絵巻や、近世の菱川師宣の浮世絵などは、美人かと言われると、どうしても現代の感覚とはずれてしまいますよね。これ実際にいても確実に美人だと思わねーぞ、みたいな笑(その美人像の変遷の歴史もおもしろいのですが)
そ れらに比べると明治後期〜昭和期の頃なのでやや顔立ちなどが現代よりで「キャッチーな美人」です。構図や題材は近世以来の古典的なものなのですが、そこに 絶妙に「新しさ」がセンス良く加味されています。近現代の感覚でも近世の感覚でも「美人」と称されるに足るバランスのとれた女性像ではないでしょうか。
そのバランス感覚がなによりも素晴らしいと思います。
控えめで慎みのある女性の姿は人の心を静かにとらえます。蛍の光に気づき身を上品に翻しています。(そして思う訳です。「今はこうゆう女性、いないよなー。歴史の中で絶滅したよなー。」とw)
薄緑の着物に鮮やかな赤い帯というのも色彩的にいいですよね!
《人形つかい》 1910年 |
こ れもまた絶妙な作品です。「人形つかい」は画中にはいない。しかしタイトルを冠することでその存在をしっかりと認識させるのです。描かないことで描く」と いう日本固有の枯山水的な手法ですね。しかしここでの主題は人形つかいなどではなく、それに感心をよせ覗き込む女性のふとした姿なのです。そして襖の間か らうかがえる室内のわずかな様子。画面に何を持ってきて何を伝えるかというのが非常にうまい。
今回の国立近代美術館における上村松園展は展示構成もしっかりした非常に良い企画展でありました。そもそも上村松園を見るのは初めてでしたし行って良かったなと思います。
企画展のレビューはぼくのより全然良い記事があったのでトラックバックしときました。参照ください。
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そして
この機会なので
ぼくが思う美しい女性の絵画を紹介したいと思います!
単に紹介するのもあれなんで、ぼくの完全なる恣意に基づく「美人の絵」のランキングをつくっちゃいました。
ただの個人的趣向です。悪趣味と言われても差し支えないです。自己満です。
※あくまで「絵画の女性に対する趣向」≠「実際の女性に対する趣向」です笑
※ピカソの《泣く女》とかクレーなど表現主義的な作品も含めるかは迷ったけどやめましたw
それでは早速、第5位からでーす!
5位
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《黒いボアの女》
美 人というか、ちょい悪かっこいい女性です。まるで今の時代の服飾系のトップ・デザイナーの原案みたいですよね。「プラダの新作です!」みたいなw 衣服の 斬新さや顔立ちはなんとも魅力があります。そして顔の白さと服の黒さのコントラストは何か声精神的なものを象徴しているのでしょうか。
4位
ルノワール《アンリオ夫人》
印象派を代表する画家ルノワール。しかし彼が最も関心をむけたのは風景ではなく美しい女性であったのです。彼の女性を描く力、というか見る力は群をぬいています。
ルノワールはあどけない少女を多く描いていますが、この女性は大人びていて清楚な印象を与えます。貞潔の白のドレスを着ているのもそのあらわれでしょう。白い画面の中での黒い瞳が印象的です。いやはや美しい。
3位
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ《プロセルピナ》
ラファエロ前派の筆頭格のロセッティは美人を描くことにすこぶる定評があります。この絵は神話に版をとってますが、アン・ハサウェイみたいなすさまじく整ったお顔立ちですね。
ザクロをにぎる手の感じや、青い布地が透けてる感じなんかも「いかにも」という感じで女性的美しさを醸成しています。
ジャ ン・エヴァレット・ミレイも日本人には人気が高いですよね。あ、近いうちに、横浜美術館で「ラファエル前派からウィリアム・モリスへ」っていう企画展があ るみたいですね。見に行きます。しかし個人的にはラファエロ前派はどうも好きになれない。標榜する思想体系とか理論も脆弱だしなー。
2位
ジョン・ウィリアム・ゴッドワード《ネリッサ》
日 本で紹介される機会あまりない(?)と思われる、新古典主義時代のイギリスの画家による絵です。すさまじい描写力ですよね。目の細めた感じとか、腰を曲げ た姿勢とか実にうまい。これぞ美人!油彩もここまで技巧を極めると逆に「芸術」なのかどうか疑問に思えてくるのもパラドキシカルです。芸術性が高いかと言 われれば僕個人的には首肯しかねるかもしれません。こういう形式や様式美を重視するハイパーリアリスムのアンチテーゼとして現代藝術が台頭してくるので す。
しかし非常に美しいですね。そこは否定できないので堂々の2位!
さーいよいよ栄えある一位の発表です!
1位
フランツ・フォン・シュトゥック《罪》
アダムとイヴに知恵の実を勧め原罪を負わせた蛇が、女性の胴体にまきつき、肩の上で頭部をおこしこちらを睨みつけています。女性は、胸部には光があたっているのに、顔は陰に隠れて暗くなっています。やばい、完全に悪女です。
主題はまさに罪。彼女が何を犯したのか、心の内になにを感じているのか、そしてこちら側に何を投げかけようとしてるのか。それらは寓意や描写からも想像に難くないようながします。
しかしそんな悪意に満ちたこの絵の女性は美しい。そのように思ってしまう僕は少数派でしょうか。そうは思わない気がします。
この絵を描いたシュトゥックは、モローやルドンなどと同時代の画家でいわゆる世紀末の象徴主義といわれる画家たちのひとりです。シュトゥックは当時のドイツの画壇の中心にいましたが、このように女性の闇の部分にフォーカスした作品が多いのです。
ど うですかねー。時代がかたまっちゃいましたねw ティツィアーノ《ウルビノのヴィーナス》とかラファエロ《ベルヴェデーレの聖母》とかフェルメール《真珠 の耳かざりの少女》などが美術史上の「美人」として間違いないとは思うんですがね。個性的な解答をしてみたかったのですw
そうは言っても流動的に変化していくでしょう・・・。
ランキング上の画家を好きかといわれると、彼らはどうも好きになれない画家なのですw (シュトゥックは除く)
好きじゃない画家が美人を描くのか、美人を描く画家が好きじゃないのか・・・。ラファエロ前派とか・・・あまり好きじゃないなあ。
女性の趣味なんてひとそれぞれで当然。だからおもしろいんですよね。絵画の趣味もしかり。
美しさの基準を設けるような議論は芸術の自由さを損ねます。当然「萌え」も重要なファクターだと思います。
ま、趣味ですね。趣味。
(悪趣味になってませんかね・・・)
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