2010年9月28日火曜日

カスパー・ダーフィト・フリードリヒ

Q: ロマン、ロマンチックってなんですか?


A:「う〜ん・・・、ロマンは、ルフィが海賊王を目指す事。ロマンチックは、男が東京タワーで『夜景よりも君の方が奇麗さ』とかんなんとか彼女に言うシチュエーションの感じ。
ロマンとロマンチックは違うよね〜」(友人談)


Q: あなたはロマンチストですか?

A: 「ぼくはプラトニックな恋愛しかできない。ちくしょう、おれはロマンチストのようだぜ」(友人談) 

 
これはこれでなかなか納得なのですが笑、
現代の我々は「ロマンチック」という形容詞を「理想を追い求める」というような文脈で使うのが多いかなぁと思います。現実になかば失望しつつ、光輝く理想に胸を膨らませて、理想論を展開する。だけどその姿はなんともかっこいい。そんな姿を今「ロマンチック」というのかな、とか考えてみたり。


そうすると、文学、絵画、音楽などの文化史の潮流で出現する概念としての「ロマン主義」はどう定義できるか。ロマン主義文学とかロマン派音楽とか。
世の中の物事は大抵二項対立をするとよく理解できるってもので笑、

realistic ⇔ idealistic
reason      romantic

と大きく対概念として捉えても差し支えないと思います。
ロマン主義は簡単に言っちゃえば新古典主義のアンチテーゼとして登場するのですが、新古典主義は秩序と均衡を重んじる理性主義的かつ自然主義を唱導するのに対し、ロマン主義は情熱や激情といった感情の放出を目的とすることが多い。前者ではアカデミズム的な決まり事に則って作品が構成されますが、後者では技法上のことは些末なことであって構図が破綻していて筆致が粗くても精神性の表出ができていれいばそれでいいのです。
ロマン主義において重要なことは「画家の内面の表出」にほかならないのです。

じゃ「バロックと古典主義の対立はどうなんだ、同じじゃないか」というと、実は違うんです。おそらくその対立はstaticかdynamicかという問題であると思います。「ロマン⇔古典」は精神的・教条的な対立でありますが、「バロック⇔クラシック」は構図や形式という皮相の対立に過ぎないのです。

そもそも現代藝術の始まりはロマン主義であります。20世紀の現代藝術というのは「作家の精神世界を具現化すること」がおそらく目的であろうと思いますがその端緒は歴史的に見てロマン主義からなのです。それがやがて印象派や、抽象絵画へと発展していくのです。


文学、音楽、歴史哲学など、多くの分野をカバーするロマン主義を語るのは相当労力がいるのですが、自分の今年の研究テーマはここなので深く立ちいりたいと思います。

対比についてさらに論じると

Neo-Classicism新古典主義=Universal
Romanticismロマン主義=Individual

という図式も当てはまります。古典主義の大きな目標とは「普遍的な美を追求すること」であって、その追求される「美」とは万人が共感でき万人が正しく享受できるような「理想美=イデー」つまりギリシャ時代のような美の概念でなければならないのです。しかし、ロマン主義が声高に押し進めたのは「個人の感情の吐露」であったのです。政治的、社会的要因を背景に画家がカンバスに感情(激情、情熱、落胆、悲壮など)の発露として具現化したものがロマン主義藝術であるのです。ドラクロワやアングルなんて見てみると構図なんか滅茶苦茶だけど、直接に政治的メッセージを訴えかけててその伝達性を最優先してますよね。


このへんの対比は千足伸行先生が執筆されたこの書物(↑)の「ロマン主義瞥見」って章を参考にして書いております。
まー別にロマン主義の芸術を享受するのにこんな対比を論じる訳もないのですがね(だってみんなベートーヴェンとか聞けるし)。芸術の享受に理屈なんて必要ないのですがそのことも踏まえた上で敢えて文章化して、せめて読者様の鑑賞の助けとなればと思った次第です。そんなこんなで今回の画家に登場してもらいましょう!

ちなみにぼくの今年の研究テーマです・・・w


Caspar David Friedrich
カスパル・ダーフィト・フリードリヒ(1774-1840)
参考サイト(全作品収録):http://www.caspardavidfriedrich.org/



《自画像》1810年
Staatliche Museen, Berlin, Germany

北ドイツのロマン派風景画です。
ちなみに彼の同時代はナポレオンがぶいぶい言わせて、失脚して、ウィーン体制になって、それがまた革命で倒れて、って時期です。そしてドイツは統一を目指すがなかなか達成できないもどかしい時期でした。
ドイツの北のポメラニアあたりで生まれ、大半の活動の拠点はドレスデンでした。生涯で注目もされた時期もありましたが、巨匠として確固たる地位を築くには至らず晩年は窮乏した生活を送ります。しかし、20世紀からフリードリヒ研究は熱を帯び、徐々に再評価の機運が高まって行き、1970年代には空前のフリードリヒ・ブームがおこりました。そして今では不動の人気を誇り、絵画史の中でも確たるポジションを占めるに至りました。現在「宗教画、風景画、寓意画に新たな意義を与えた」と言わしめるのに近い評価を得ています。しかし、残念なことに、新しい意義を与えたといっても、後代に与えた影響というのは目に見えるかたちでは中々例をみることが出来なく、つまりはフリードリヒの様式的特徴は彼を限りにして受け継がれることはなかったのでした。

ともあれ、フリードリヒの持つ絵画の魅力に迫って行きましょう。



《山頂の十字架(テッチェン祭壇画)》1808年
カンヴァスに油彩 115 × 110.5 cm
Dresden, Gemaldegalerie Neue Meiste

今だとRPGのなんか1シーンって感じですかねw え、サーチライト?みたいなw
しかしですね、この絵画には「風景画」また「宗教画」として重要な問題や革新性が内包されているのです。
そういったことを抜きにしても、純粋に絵画としての芸術性が高いと思います。ぼくもこの絵を見てなんとも厳粛な気持ちになりました。



この絵は、フリードリヒの最初期の油彩画であります。そして発表と同時に賞賛と批判の両意見が巻き起こり、その対立は本人をも巻き込んでの公開議論へと発展するのです。批判した当時のアカデミズムの権威であるラムドア伯爵から「ラムドア論争」とよばれています。
  • ラムドアの批判は要約するとこう。①風景画を描くにあたって奥行きや明暗がまったくもって不適切。アカデミズム的な描写の決まり事は破綻している。写実的でも理想的でも無い。②この絵は礼拝堂の祭壇画であるべきものであるとしたら、完全な冒涜と言える。なぜなら宗教主題の全く読み取れない単なる風景画に、神性を宿らせようとし信仰の対象にしようとしているからである。
それに対してフリードリヒは自身の芸術を擁護するのです。
自分は自分の教条にしたがって藝術作品を制作していると。
つまり、それは風景に神性を見いだすことの積極的肯定と画家の心情をアカデミズムの形式主義よりも優先したのです。これぞロマン主義精神なわけです。

くしくも彼の最初に発表した油彩画が、このような大きな議論をよんだ事で逆に彼の絵画に対する自身の姿勢というのがはっきりしたようです。このようなフルードリヒの思想はどんどん先鋭化していくのです。

た・だ・し

1970年くらいの新説(もう古いかw)では、フリードリヒのこの発言の真意が覆されるような発見がなされました。そもそもこれは「祭壇画」として描かれたものではないのです。
  • これはスウェーデン王に献呈されるはずのものが、政治的理由から不可能となってしまい、この絵を欲しがっていたテッチェンのトゥーン伯爵夫人のもとに売却されることになったのです。なぜスウェーデン王に献呈しようとしたのかというのは、スウェーデン王グスタフ4世アドルフがフランスに抗し当時のドイツの政治的独立を応援する立場にいたから。この絵の図像もスウェーデン王とドイツの繁栄を示唆するものであるのです。つまり言ってしまえばこれは政治的含意に満ち満ちた作品であったのです。
これがこの絵の持つ二重の歴史です。
どうですか、なんかサスペンスっぽくて面白いでしょう笑。絵画史の中にはこうゆう謎解きのエピソードが何個かあるのですが、その中でもぼくのお気に入りですw
現在の学説の主流はこっちでしょう。

はーおもしろいね〜。逆にこんなヘビーな話を知ったあとにこの絵を見ても理性ばっか働いて感性がはたらかないです。絵画を享受するのに余計は知識は邪魔だというのは、それなりに正しいです。
ハイ次!!

ここで紹介する2つの作品はテッチェン祭壇画の後にすぐ同時に制作されたものです。完成は1810年。2つとも同じようなサイズでかなりの大画面です。


《樫の森の修道院》1808-1810年
カンヴァスに油彩 110.4 × 171 cm
Berlin Nationalgalerie, Saatliche Museen

これまた、RPGのステージみたいなね。いやRPGの制作者がきっとこういうのを見てるんですよね?w
しかしこれもまたフリードリヒの含意が満ち満ちているのです。

不気味に枝分かれした樫の枯れ木の、荒涼とした林の中に、これまた不気味にゴシック建築の廃墟がたっているます。その建築の入り口付近には人影をみてとることができます。
これは、おそらくゴシック建築の廃墟=ドイツの同時代の姿であり、そこに希望見いだして信仰するというフリードリヒの思いが込められているのではないでしょうか。

そして背景は上半分と下半分で白黒に分けられています。
これは、おそらく生と死であり、その狭間に新しい明るい地平を見いだすことができるというメッセージでありましょう。上の作品とも重なりますが、この主題はドイツの国家と国民の政治的統一を希望しているフリードリヒの内面を読み取ることができます。

フリードリヒの絵は「読ませる」ことをかなり要求してきますが、それもぼくのフリードリヒが好きな理由です。

そして、同じロマン主義でも、ドラクロワがやったような直接的で乱暴な表現の仕方ではなく、静謐で詩的な表現をもって個人の感情を表出したのです。
(内容の主題としてはナショナリズムの鼓舞ってことで通底しているのですがね。)


《海辺の僧侶》1808-1810年
カンヴァスに油彩 110 × 171.5 cm
Berlin Nationalgalerie, Saatliche Museen


この衝撃的な構図の絵もそうした性質を良く表しています。
(ちなみにここで紹介した全てての作品は全て1808−1810年のものでフリードリヒの制作史の中でもかなり重要な時代です。これでもようやく油彩が板についてきた頃です。)


空間を非常に大胆につかっており、画面を分けるのは空と海と陸。水平線の彼方は暗いが空は明るさを帯びている。そこにポツンと佇むひとりの僧侶。

これも宗教的含意がうんたらっていう話はもちろんあるんですが、それは割愛して…

以下のように他の絵と並べてみてみましょう。

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《海辺の僧侶》

似てる絵だけど少々写実化し…いやむしろ抽象化し…
ギュスターヴ・クールベ
《パラヴァスの海岸》1854年
カンヴァスに油彩 27 × 46 cm
Musee Fabre, Montpeller, France
 
…と思ったら一気にこう単純化!(なぜ)
Mark Rothko, Untitled. 1949

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これ。うん。抽象芸術の雄マーク・ロスコーにたどり着くという訳です。画面を大胆に分断しているとことに共通点を見いだせますよね。色彩の階層だけでもひとつの精神性をも表してしまうんですね。

これ西洋絵画の抽象化の流れ(笑)
って真面目に論じる学説があるんです笑。かなり乱暴ですけど、おもしろいですよね。
確かに抽象化ってのは精神性(内容)があって初めて成り立つものであるから、抽象画というか現代藝術の端緒はロマン主義から見いだされるといっても過言ではないのです。ロマン主義から内面重視(象徴主義的)な傾向があらわれてくるのです。


ロスコーとフリードリヒの対比と関係性はこの本に詳しいのですが、かなりおもしろいです。(正直結構難解でしたが)学問的には良著です。


僕的結論
・ロマン派は二項対立で押さえる。
・フリードリヒの寓意表現はかなり芸術性が高く伝達性も備えている。
・アフィリエイト始めたから広告多くなっちゃったw


それでは失礼します。

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