2011年1月10日月曜日

アントニウスの誘惑

今日は「聖アントニウスの誘惑」という宗教主題に関してです。

聖アントニウスとは、聖書には記述はありませんが、有名な聖人の一人です。聖書に登場する聖人の数は少なく、それよりも中世〜13世紀に宗教的伝承と民間伝承が入り交じって聖人崇拝が成立していったようですが、聖アントニウスに関する逸話も4世紀頃、アタナシウスの書いたとされる『聖アントニウス伝』の記述のみのようです。

アントニウスは豊かな財産をことごとく投げ打って、エジプトの砂漠で隠者として修行を積みました。しかし、その禁欲的な生活の間、悪魔の幻覚に苛まれます。悪魔はいろんな怪物の姿で現れてアントニウスに襲いかかり、時として女性に化けて誘惑したりもしたのです。この場面こそが、「聖アントニウスの誘惑」であり、多くの画家がこの主題からインスピレーションを得て作品を残しました。
結局このような幻覚に打ち勝ったアントニウスは、今日に到るまで施薬の聖人として崇拝されています。

「聖アントニウスの誘惑」という主題は、歴史的に多くの画家が扱ってきましたが、そのどれもがグロテスクで奇怪なものとなっています。図像の様相はとてもカオスです。そういう主題ですから。ただ、それだけぼくにとって魅力的であるのです。澁澤龍彦もこういう図像が好きで、色々な画家や絵を日本に紹介してますよね。

さて、今回はぼくの趣味で様々な芸術家による「アントニウスの誘惑」を並べてみようと思います笑 そのどれもが脳裏に焼き付きます。。しかし、悪魔の姿の表現の仕方は画家によって様々で、比較するととても興味深い発見があります。そして、同時にこの主題が描かれた時代背景なども考察してみるとなかなか面白いです。


マルティン・ショーンガウアー《聖アントニウスの誘惑》
15世紀後半、銅版画
Museum of Fine Arts. Budapest.
まずは、マルティン・ショーンガウアーとの版画から。早くも相当いじめられてますね…w
手に棒を持った、異形の悪魔がアントニウスに襲いかかっています。しかしそれに対してアントニウスはかなり落ち着いているように見えますね。
悪魔の一匹一匹がおもしろいですよね。
中にはアホ面の悪魔もいます。

ミケランジェロ《聖アントニウスの誘惑》
1487-8, Kimbell Museum

これは、あのイタリア盛期ルネサンスの画家・彫刻家のミケランジェロがなんと12歳の頃に描いた物らしいです。ただし図像を見てみると…
ショーンガウアーの版画の構図を丸パクリ!

天才も「まねび」から始めたということですね。

ヒエロニムス・ボス《祭壇画 アントニウスの誘惑》
1506-06年 板絵
Museum Nacional de Arte Antiga, Lisbo
奇怪(というかかなりユーモラス)な怪物でおなじみのヒエロニムス・ボスによる《聖アントニウスの誘惑》です。
この画像ではまったく図像が判別できませんが、中央でアントニウスが女性に誘惑されています。そして珍獣たちが空を飛び地をうごいめいていますw
この世界観はやはりすごい。 500年前とは思えない。珍獣パラダイス!

マティアス・グリューネヴァルト《聖アントニウスの誘惑》
1515, Oil on wood,
グリューネヴァルトの中でも超有名な《イーゼンハイム祭壇画》の右翼の内側に描かれているものです。
…これは壮絶です。。そもそもこの祭壇画は黒死病(当時は「アントニウスの火」と呼ばれていた)の患者を救済する施療院に飾られたのです。なので黒死病に感染した病人の荷姿が描かれているわけです。
つまり患者が難病の病魔に打ち勝ちたいという願いを、アントニウスの逸話に重ね合わせて仮託したのです。
なのでこの図像は当時の現実の様子そのものだったのかもしれません。それだけ生々しく、痛々しい図像になっています。他の絵よりも何か鬼気迫るものがあります。
ダフィット・テニールス《聖アントニウスの誘惑》
17世紀後半、国立西洋美術館、東京
この絵は上野の西洋美術館で常に見れます。
悪魔が飛び交っていますが、グリューネヴァルドとは打って変わって、どこか牧歌的な雰囲気を感じさせます。奇怪な怪物が迫ってきていますが、いかんせん空が明るい笑
構図も中央に固まって安定しており、不安な印象は与えません。

ただ怪物たちをよくよく見るとなかなか笑える。

フェリシアン・ロップス《聖アントニウスの誘惑》
ベルギー象徴主義のフェリシアン・ロップスによる「誘惑」は現実世界を退廃的に語っているといえます。ロップスはこういった男を誘惑する「女の魔性」というようなモチーフを自信のテーマとして中心に据えていたようです。
アントニウスは赤い布をまとった悪魔の見せる淫らな幻惑に激しく苦悩しているように見えます。十字架の後ろには「貪欲」を喚起させる豚がいます。
崇拝すべき聖人の姿というよりは、苦悩する憐れな男の姿に見て取れます。この絵画は明らかに、宗教画というよりは画家の内面世界の代弁をしていると言えるのではないでしょうか。そしてその内面世界は当時の社会の「リアル」を強く反映しています。


フェルナン・クノップフ《聖アントニウスの誘惑》
上のロップスと同じくベルギー象徴派のクノップフによる同主題です。
ぱっと見ただけでは主題が判別できない絵です。邪悪な誘惑が行われている場面というよりは、アントニウスが誘惑に打ち勝って穏やかな光に包まれているように見えます。
このクノップフの絵にはなんとも幻想的な魅力があります。
こんな穏やかというか希望的な光が見える「アントニウスの誘惑」はないのではw


ルドン『聖アントワーヌの誘惑』第三集 ⅩⅧ.
アントワーヌ:これらすべの目的は何だろう?
悪魔:目的などないのだ!
1896年

象徴主義の巨匠オディロン・ルドンも 『アントワーヌ(=アントニウス)の誘惑』の作品群を残しています。戯曲家ギュスターヴ・フローベル(1821−1880)がこの題材を戯曲化して出版した際に、挿絵をルドンが手がけました。これもその作品群のうちの一つです。
ルドンは多くの怪物の図像を想像しましたが、この主題はそんなルドンの感性にぴったりとはまったと考えられます。
黒一色で描かれた怪物の姿は独創的で、ユーモアがありながらも深い精神性を感じることができます。

マックス・エルンスト《聖アントニウスの誘惑》
1945, Wilhelm-Lehmbruck-Museum, Duisbug
シュール・リアリストの中でもあらゆる表現手法に通じたエルンストもこの主題に取り組んでいます。精緻な油彩によるこの作品。
赤い布をまとったアントニウスは奇形の悪魔に攻撃をうけています。なんといってもアントニウスの形相が恐ろしい…。画面の場はまるで違う惑星のようで、画家の内面世界の有り様を物語っています。

サルバドール・ダリ《聖アントニウスの誘惑》
1946年、ベルギー王立美術館
最後に紹介する「誘惑」はこれです。
シュールレアリストのダリの中でも代表作です。

もはやこの主題はダリによって歪められ、自らの「勝手な」解釈で表現されています。
この足の長い馬や象が誘惑する悪魔なのでしょうか。とても印象に残ります。
画面左下のアントニウスは裸で十字架を掲げています。
画家の真意はよく知りませんが、一種の宗教批判としても読み取ることができます。


世界にまだまだ多くの「誘惑」がありますが、今回はこのへんで打ち切りたいと思いますw
お気に入りの「誘惑」はありましたか?