最初に断っておくと、このブログは客観的な美術史を概説して並べるものではないです。
そんなするなんて大それていますし知識も無いです。
このブログの目的は
①自分が実際に目にした作品に絞り、
②ぼく独自の目線(主観的、やや偏見や臆見がいりまじった)で捉えられた
③エッセイのようなつもりで書いた美術史です。
しかし、読んでくれる方がいればとても嬉しいですし、コメント大歓迎でむせび泣きます。
反対意見や批判も謹んで頂戴します。
前置きはこんな感じにして、
記念すべき第一弾は
マン・レイ展 @国立新美術館
http://man-ray.com/
テーマはダダイスム。いきなり、知識が無に等しいところから書き始めます。
←ダリ(左)とマン・レイ
マルセル・デュシャン《L.H.O.O.Q.》、1913年、個人蔵
(あ、これは展示作品とは全く無関係ですww)
《ピカソによるマン・レイ》、1934年のピカソによる作品の記録写真、制作年代不詳
Man Ray(1890〜1976)は東欧系ユダヤ人移民の子としてフィラデルフィアに生まれる。活動は主にニューヨーク⇒パリ⇒ロサンゼルス⇒再びパリであるがパリでの評価が高い。
主に写真家であるが、油彩やリトグラフなど平面絵画、彫刻などの造形、または短編映画などの映像作品を手がけた。方法論としてはダダイスムやシュールレアリスムと近接し、ダリやピカソ、エルンスト、デュシャンなど多くの前衛的な芸術家と知遇があった。彼の詳細についてはwikipedia等参照のこと。http://ja.wikipedia.org/wiki/マン・レイ
言ってしまうと、ぼくはダダイスムが嫌いです。(「好き」だと思う人はいるのか疑問です・・・)
ダ ダイスムとは美術史において最も過激で前衛的な運動で、20世紀初頭のスイスに端を発します。代表格としてはまず挙るのはマルセル・デュシャンでしょう。 ダダイスムはフォーヴィズムやキュビスムといった他の芸術運動とは違い、過去の様式を一切否定し破壊することを目的とします。西欧近代の資本主義的・物質 主義的・功利主義的価値観に嫌気がさしたダダイストは、無政府主義的に、「美」「調和」「色調」を揶揄し、嘲笑し、破壊して、「騒音」をあびせるのです。 とりわけデュシャンの《泉》や《L.H.O.O.Q》がその性質を端的に表してくれます。
マルセル・デュシャン《L.H.O.O.Q.》、1913年、個人蔵
(あ、これは展示作品とは全く無関係ですww)
この作品は、モナ・リザに髭を加えただけです。おちょくりのイデアとでも言っときましょう。幸い、現在において、真似したり、追随するなんてことはされないでしょうね。ダダイスムの真似とはすなわち自己矛盾だから。
今回のマン・レイ展にもこのようなダダイスム的作品はありました。たとえばこれ。
《ピカソによるマン・レイ》、1934年のピカソによる作品の記録写真、制作年代不詳
こ れは、マン・レイがピカソを描いた作品(油彩)を、さらにマン・レイが写真で収めた写真(ゼラチン・シルバープリント)であります。これは記録写真だか ら、デュシャンのような引用して揶揄するみたいな考えでは無いのですが、美術館にこれが飾られていると何か違和感を覚えてしまいました。「作者」というも の所在がどこなのだろうかと。ダダイスム的な要素がうすーく感じられたのでしょうか。少し嫌悪してしまいました。
同じ事は、その他の記録写真にも言えます。エルンストとかルソーの作品の写真もありあした。
(個人的にはピカソも、エルンストも、ルソーも才能ある素晴らしい芸術家だと思っていて、いつか必ず触れます)
ぼくはダダイスムという形の無い魔物は嫌悪してます。しかし、マン・レイは好き・嫌いを別にしてかなりの天才性を感じます。
今回の展示品中では、ネガ・ポジのセットの作品やレイヨグラフの諸作品は、素晴らしく芸術性が高く、好きな人はドツボでしょう。そして、特筆すべきは映像作品でしょう!しっかり映像作品も見れるのが今回の嬉しいところでした。
ですが、まだまだ彼の本領を発揮する作品は、あまり今回の展示には来てないといえます。
画集を見る事をお進めします。マン・レイの写真はスゴい。特撮(知識がかけている故の不適切な言葉)による、写真の表現力は今でも斬新で鮮烈に映ります。そして官能的でやや過激。(言葉うまくない!)
さて、そんなこんなで第一回目の記事の結論
①ダダイスムは理論だけしかおもしろくない。食えない。
②マン・レイは天才。しかし今回の展示じゃもの足りない
記事を振り返っての反省点は
・まとまりがない
・言葉がうまくない
とかですかねww
改善しますー。ではでは。
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