2010年8月9日月曜日

フラ・アンジェリコ

さて第二回にお届けしますのは、イタリア初期ルネサンスの画家、フラ・アンジェリコ(フィレンツェ、1387〜1455)です。

イタリアには一度しか行った事が無いのですが、2週間の旅の中で本当に素晴らしい芸術作品の数々を堪能することができました。旅行記もいつか別に書きたいところです。


フ ラ・アンジェリコはドメニコ会修道士であり、その制作活動は主にフィレンツェのサン・マルコ修道院でした。時の権力者コジモ・デ・メディチ(老コジモ)の お抱えの画家でありローマでも制作活動を行いましたが、その画風は「天使のよう」だと賞賛されたのでした。ここからフラ・アンジェリコ(=天使)と呼ばれ るようになったのです。

ちょっと解説
  1. 初期ルネサンス:ルネ サンスは一般的に15世紀イタリア(とくにフィレンツェ)に登場「合理的」に芸術を表現しようとする運動である。①透視図法(消失点をもつ遠近法)で空間 をとらえ、②比例関係・数量関係で画面と構成し、③調和のとれた幾何学的構図を重んじ、④写実性(人体などの素描etcにおける)を重視するような、最も 最初期の「近代的」な芸術様式ということができる。ルネサンスは以上の特質の徹底度から、初期(15世紀、ブルネレスキ、ドナテッロ、マザッチョ、フィ リッポ・リッピ、ボッティチェリetc)と盛期(16世紀、レオナルド、ラファエロ、ミケランジェロ)に分けられる。
  2. 15世紀のフィレ ンツェ:中世から毛織物業や金融業で富をなし、15世紀で最も栄えていた都市と言っても過言ではない。さらに、封建的支配層に組み込まれず、共和制として 自治都市であった。しかし、共和制の中で巧みな政治手腕と圧倒的な経済力で登場してくるのがメディチ家である。フィレンツェの財界・政界の頂点に君臨しな がらも巧妙に民衆の支持を得たが、メディチ家のこうした力がフィレンツェの文化的推進力になったことも間違いない。ジョヴァンニ・デ・ヴィッチ、老コジ モ、ピエロ、ロレンツォは政治的・経済的にも大成功をおさめつつ、その莫大な財力で多くの画家、建築家を庇護し芸術活動を行わせた。ロレンツォの死後メ ディチ家はフィレンツェから追放されてしまう。そしてかの有名なサヴォナローラによる神権政治が一時的に行われるのであった。
かなりざっくりですが。メディチ家の話やサヴォナローラの話は歴史的に見てもおもしろいところなので多くを語りたくなってしまいます。これも今後の課題としましょう。

さて本題。
サン・マルコ修道院ファサード (写真はぼくが撮りましたよ!)

彼はかなり敬虔な修道僧でありほとんど修道院内で過ごし神職として仕えたようです。彼が過ごしたのはフィレンツェにおけるドメニコ会の拠点であるここ(上)。代表的作品もここにあります。建築自体もメディチ家お抱えのミケロッツォによって設計されました。

内部(全面撮影禁止)に入ってみると、中庭を囲んで礼拝堂や客室があり、客室は今は美術品の展示室として使われています。静かで落ち着いた、おもむきのある良いところです。
回廊を抜け階段をのぼると、正面に見えるのがこの絵!

《受胎告知》、1442年
フレスコ画、サンマルコ美術館、フィレンツェ
実際に見てない方に問いかけるのもあれですが、どう思いますか?

「(・∀・)イイネ!!」
「ダヴィンチのがすげーじゃん?」
「ノホホンとしてるネ(´・ω・`)」
とかでしょうか、想像だとこんな解答がかえってきそうですがw、ぼくは好きです。

単純で落ち着いた構図の中にある、静謐さ。
ぼくは宗教画としてみると、このようレベルの写実性や色合いや空間の捉え方が、最も深い精神性を醸成し、見るものの信仰心に訴えかけるものであると思います。

中 世のゴシック的世界観とは一線を画しながらも、どこかこの世とは違う異次元の出来事のように思えます。列柱廊と、そのコラムに支えられる尖塔アーチを有す る建物は、明らかにルネサンスの建築様式を表していますが、今の目で見るとなんとも幻想的な空間のように思えませんか。
そして聖母に処女懐胎を告げる大天使ガブリエル。2人の関係は静寂に包まれながらも、腕をおなかの前で重ね、目線をしかと相手に向けていることから、物語の本質であるマリアの内面が語られていることがわかります。

じわーっと、しみじみと、ひしひしと、「ああ、いいな」と思います。

(とまあ、このような見方は人それぞれで、これはぼくの主観に依拠してる分けですが)

そしてこの絵の背後には僧房(修道僧が生活すつ実に簡素な小部屋)がつらなっており、その小部屋の一つ一つの中に宗教画が描き込まれているのです。
かれは豪華に彩色された祭壇画も手がけましたが、僧房内にある宗教画はどれも抽象性が高くシンプル。しかし、宗教画としての本質のみを取り出し必要なものしか描き込まないのです。なんてストイック。


《キリストの嘲笑》1438-1443年、フレスコ画
拡大版
……。

どうですか。なんか、おっさんの顔浮いてるし。手だけが浮いてるし。むしろ逆に今のモダンな感性に反応するかもしてませんね。
しかし描かれているのは宗教の物語を伝えることにおいて最低限必要なものだけなのです。キリストに罵声を浴びせるものの頭部、暴力を与える腕。キリストの手には権力の皮肉の象徴として手渡された玉と葦が握られている。フラ・アンジェリコにおける目標はただ一つ「物語を視覚化すること」だけなのです。

この目標のために、彼は本当にストイックで、グロテスクな表現もいとわないのです。(僧房の作品の中にはグロテスクで痛々しい作品しかないのです。こんな僧房でよく暮らしたなみたいなw)

この独房の連なる廊下を抜けたところに、
・・・
サヴォナローラの部屋があるのです。そう、彼もドメニコ会僧でありサン・マルコ修道院の僧だったのです。(フラ・アンジェリコとはあまり関係は無いので割愛)


今回のまとめ
①フラ・アンジェリコは落ち着いてて静かで、宗教画のかがみ
②物語と語ることに特化した「真の」宗教画


フィレンツェに行ったならば是非訪れて下さい。他にスポットが多いからなかなか日本の方は行かないみたいです。

あ〜イタリア行きたい。でも一番行きたいのはドイツ諸都市。次にウィーン。その次にロンドン、パリ、ニューヨーク、…その次くらいかなw

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