2011年6月9日木曜日

雪舟と拙宗



今回のテーマは日本美術史の謎のひとつ、「雪舟」と「拙宗(せっそう)」は同じ人物なのかということについて書いていきたいと思います。今の美術史は同一人物だと考えているようですが、議論は確固たる言説を持って終止符が打たれたわけではありません。

▼美術史ミステリー この二人は同じ人物なのか!?

雪舟等楊(せっしゅうとうよう)
拙宗等揚(せっそうとうよう)

雪舟・拙宗同人説は田中一松氏が主張して以来、美術史において徐々に定説化されていますが、とはいえ未だ論争に結論が出されている訳ではなく、狩野永納による『本朝画史』で【雪舟等楊】と【拙宗等揚】を別の項目で記述していることを端緒に、拙宗は雪舟周辺の別の水墨画として扱われてきた経緯が長くあります。

二者を同一人物だと見る見解の主な理由としては、①「せっしゅう」と読める号の音的な類似性、②二者の絵画における画面構成や人物の類似性以外、③両者に共通する賛者がいる事、④拙宗等揚と雪舟等楊の活躍した制作年代の整合性があげられます。雪舟・拙宗同人説を主張する文献には以下のようなものがあげられます。(『雪舟—没後500年特別展—』図録参考)
  1. 田中一松「拙宗等揚について―雪舟等楊と関連して―」『三彩』75、1956
  2. 蓮美重康「雪舟の前半生—拙宗等揚論批判—」『ミュージアム』70、1957
  3. Richard Stanley-Baker「Sesshu Toyo and Sesso Toyo: the issues reviewd」『美術史論叢』12、1996、東京大学文学部美術史研究室
  4. 河合正朝「「雪舟」・「等揚」・「雪舟等楊」—室町時代水墨画研究の再検討にあたって」『墨の彩 正木美術館三十年』1998、根津美術館

 ここでは「同一人物説」を始めに唱えた美術史家の田中一松の説を追っていきましょう。

▼画風の近似

【拙宗等揚】は『本朝画史』の記述によると、雪舟よりは周文に近い描き方であると記述され、雪舟とは隔たりがあるとされますが、いわゆるよく知られているところの「雪舟」の様式的特徴は渡明してから形成されるもので、雪舟の号を名乗る以前は師である周文に大きく画風に影響をうけているのは当然のこととして理解できます。とはいえ、それ以前に【雪舟等楊】と【拙宗等揚】の画風が近似しているのはまず誰もが了解できることでしょう。また【拙宗等揚】の「拙」の字から見ても如拙らの画僧の作風を宗としたことが察せられるので、如拙に多く影響を受け、彼の作品も持っていたという【雪舟等楊】との同一性はより確かなものとなるでしょう。

▼共通の賛者

【雪舟等楊】と【拙宗等揚】の画の共通の賛者に竜崗真圭の存在があげられます。彼は【雪舟等楊】が「雪舟」の号を称するための正当性を付与するための「雪舟二字説」を草した禅僧であり、1462年から1466年まで相国寺の鹿苑院におり(この時期は雪舟が43歳から47歳の年齢)、この頃の竜崗真圭と【雪舟等楊】の関係は非常に深かったと考えられます。

▼制作年代の整合性

竜崗真圭の「雪舟二字説」によると、元の禅僧碕梵楚石の書いた「雪舟」の二大字を手に入れることができて初めて雪舟と号したのです。雪舟が絵を描くようになったのはかなり遅かったと見るべきですが、仮に25歳頃から作品を手がけるようになったとしても、それから20年近くも経たないと「雪舟」の画は現れません(45歳頃から周防に雲谷等楊として頭角を現す)。その間に作品がないのは実に不可解であり、その空白を埋めるのが【拙宗等揚】の作品であるとすると実に整合的です。そもそも、【拙宗等揚】の作品で正木美術館蔵の「破墨山水図」がありますが、その賛者である龍松周省、寿棟、林下清鑑の3人の禅僧は文明年間頃(1469-1489)に在世した人であるから、この「山水図」が制作されたのは【雪舟等楊】の活躍した時期よりやや早い作品ということになり、【拙宗等揚】が【雪舟等楊】に画を学んだということは否定でき、【雪舟等楊】以前の画家であると言えます。

以上が田中一松氏による主張です。さらに蓮美重康氏は著書『雪舟等楊新論』の第四章で田中一松氏の主張内容に賛同しながら、自ら【拙宗等揚】の作品群の分析を加えることで【雪舟等楊】と【拙宗等揚】の同一性、または発展の過程を論じています。【拙宗等揚】の特徴は「山水図」群は破墨の法が未成熟であり、発展途上にあること、そして杜甫や達磨を主題として好んで描いたことなどがありますが、【雪舟等楊】と地続きと考えればどれも納得のゆく特徴であると蓮見氏は述べています。

▼結論はまだ出てない…けど同一人物という認識で大丈夫かと。

ただ、おそらくまだ「100%同一人物である」と言えないのが現状でしょう。しかし雪舟・拙宗同人説についての整合性が妥当であり矛盾点も見当たらないので、ぼくとしてもこの言説に賛同したいと思います。

参考文献:
『雪舟—没後500年特別展—』図録、2002
『雪舟等楊新論』1960年 蓮美重康、朝日出版者

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