2011年12月31日土曜日

【Ⅰ-(ⅱ)-(a)】対象のディスクリプション

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(ⅱ)本論文の対象と概要

(a)対象のディスクリプション

本論文の対象作品はC.D.フリードリヒによって1823-24年のドレスデンにて制作された《氷海》である。
C,D.フリードリヒ《氷海》
画面の中央、あまりにも強烈に「破壊」を提示している。フリードリヒの風景画の中には息を飲むほど美しい作品もあるが、この作品は違う。一瞥しただけでは、その絵の内容に快い情動が芽生えるはずもなく、快い「美」や「やすらぎ」を与える作品とは全く正反対のベクトルを向く。少なくとも第一印象は観者を困惑させる。
たくみな遠近表現によって、あたかもこの極北の風景が眼前に広がっているようである。観者の立つ位置は茶色の帯で示す前景よりもこちら側である。立ち位置が陸地であることは前景の氷や雪が茶色を帯び、土が付着していることからうかがえる。陸地はどうやら舗装されていたらしい。また前景の中央には2つの氷片が矢印の形をつくり、ある方向を指している(挿図1)。
その矢印が指すのは、画面右側に位置する無残に氷の下に沈みかけている帆船である(挿図2)。わずかであるがマストも確認することができる一隻の船が圧倒的な自然の力の下に屈服し沈みかけている。船は人々に旅や出発を連想させるものであるが、それがここでは再起の見込めない挫折を経験している。 氷塊のいたるところに檜の棒が巻き込まれていることで、船が憐れな残骸となってしまったことをより一層明確に表している。
前景からある程度の距離、しかも確実に歩いて渡ることなど不可能であり、物理的・精神的に人を寄せ付けない距離をとって、荒々しい氷の塊が中央にそびえ立つ。ぶあつい氷の板が何層にも折り重なって高々と積み上げられていき終に氷の山となる。 氷の板の厚さは船と比すると優に1mを越えることが伺える。鋭く角が立ち、力強さと不安定さがアンビバレンスに同居しながら荒々しく屹立する氷の塊。その一方、この氷塊は幾何学的かつ抽象的な形であり、その単純無機質さはモニュメンタルな様相も備えている。 北方世界の過酷な自然環境がもたらす脅威を表し、そこに人為は到底叶わない。氷の先は鋭く、右斜め上を指し、天上を指向している。
しかし、破壊のより後方にある景に目をやると、実に神秘的で幻想的な広がりが確認できる。色彩も前景の暗く汚れた色と正反対で、ほのかに桃色が混じったおぼろげで繊細な淡青で透明性も表現されている。画面左奥に見える氷山(挿図3)は中央のそれと確実に異質で、美しい輝きを放ち暴力的な雰囲気は皆無だ。空からはわずかに雲間から青空が漏れでており、この風景が破壊と絶望だけにとどまっていないことが暗示されている。
この絵は三層構造をなしている。観者である我々が立つ土気色の前景、圧倒的な破壊と挫折が表された中景、そして、破壊の奥無限の広がりを持つ神秘的な後景が広がっている。この三層構造がそれぞれ象徴的な意味合いを持っているのだ。その意味合いを明らかにしつつ、船の持つ意味を論じていきたい。
挿図1 《氷海》部分
挿図2 《氷海》部分

挿図3 《氷海》部分
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